この人生を生きてゆく

実体験から、自分の幸せを探求し続けます。

本当の幸せを味わう為の覚悟

この世は完全に調和がとれている。

 

わかりやすく言うと、

『人生山あり谷あり』といったところだろうか。

 

有頂天の幸せは長くは続かないし、

先が見えない暗闇にも、いつか必ず光が射す。

 

そんな前提で『本当の幸せ』ってやつを考えると、

辛い過去や悲しみの先にしか、

味わえないのかもなぁって、ふと思って。

 

思わず『幸せ』の意味を調べてみる。

 

『幸せ』の定義って、

『満たされていること』『不平不満のないこと』って

書いてある。

 

でもそれってつまり、

 

『欠けていること』『満たされないこと』『思い通りにならないこと』

を知らないと味わえないよなって。

 

そうなんだ。

やっぱり全ては相対的な2つが1セットであり、完全なんだ。

 

だから僕は決めた。

 

本当の、心の底からの『幸せ』ってやつを、

体験したいから、味わいたいから、

どんな苦しみも悲しみも嫌なことも逃げずに受け入れてみようって。

 

幸せになる覚悟とは、

 

『ネガティブ』な感情も、

全て受け入れる覚悟なのかもしれない。

 

少なくとも僕が求める『幸せ』はその先にありそうな気がしてる。

とにかく楽しくやろう

外的要因もきっとあるのだろうけど、

理由なく気分が良かったり落ち込んだりと、

人間の心ってのは本当に掴み所がなく不安定だなって思う。

 

だからこそみんなその芯をしっかり握って安定させようって、

試行錯誤するんだね。

 

今日、不意に思ったのは、

 

とにかく楽しもう。

 

ってこと。

 

もちろん、日常で起こることは楽しいことばかりじゃないけど、

楽しい時は思いっきり味わって、浸って、そして味わい切ったらフラットになって。

そうじゃない時は、苦しみも悲しみを一旦逃げずに受け止めて、

そしたらそこに隠れてる楽しさを見つけて。

 

やっぱどんな時でも楽しそうにしてる人って、

近くにいても安心できるし、自分もそんな人でありたいと僕は思う。

過去でも、未来でも無く、今この瞬間を

年を重ねるごとにシンプルに生きたいとは願うものの、


何というか、感情をシンプルに処理できない物事が多くて、

ついつい考え過ぎてしまって、疲れてしまうことが多い。

そもそも自分がそんな性格だってこともあるけど。

 

家族のこと、仕事のこと、お金のこと、健康のことなど、

ただ生きてるだけで、考えなきゃって思わされることが多くて、

時々、やれやれってなる。

 

でもそんな時は往々にして、

過去か未来の恐れをセットにして考えてしまっていることがほとんど。

 

感情は『愛』か『恐れ』のどちらかからしか起こらない。

 

今まで読んできた複数の本で、そんな思想が紹介されており、

自分もそうかもなぁと感じている。

 

感情を沈んだ気持ちにさせる不安や恐怖は、

過ぎ去った過去の傷か、起こっていない未来の恐怖の先取りとセットで存在する。

 

そんな恐れに惑わされることなく、

心の平静を保つには、

 

『今、ここ=愛』を感じて生きることだ。

 

今、ブログを書ける環境がある。

今、ご飯を食べられるお金がある。

今、大切な家族と暮らせている。

今、仕事がある。

今、選択する自由がある。

今、健康な体がある。

今、生きている。

 

こんな風に考えられると、

今起こっている状況を素直に喜べたり、

幸せを感じられたりする。

 

今の自分にあるものへの感謝を忘れてしまった時が、

心の平静が乱れる時だ。

 

なーんて偉そうなことを言いながら、

それが維持できないから、

僕はこんなブログを書いているし、

世の中にはそんな本や情報が溢れているのだろう。

 

結局、みんな同じなんだと思う。

 

お金持ちの人も貧しい人も、社長も平社員も、イケメンもブサイクも、

既婚者も独身も、夢を叶えた人も夢追い人も。

 

状況や内容は異なるけど、

みんな喜んだり、苦しんだりを繰り返して生きている。

表面上は全くそう見えなかったとしても、

みんなそれぞれ自分の課題と向き合って、暮らしているんだ。

 

そう考えると、

ちょっと人間愛が湧くね。

僕はそんな博愛主義者じゃないから、

ほんとちょっとだけど(笑)。

 

そんなこと思いつつ、

『生きてるだけで、愛』

観ました。

 

不器用な人が、僕は人間臭くて、大好きで、美しさを感じます。

 

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男気に触れる

僕は住宅営業をしているんだけど、

1年位前、とある関連企業の社長さんから、

家を建てたいっていう職人さんを紹介してもらって、

お建替えのお手伝いをさせてもらうことになった。

 

僕は職業に貴賎は無いと思っているし、

家を建てたい方なら、可能な限り精一杯お手伝いさせて頂きたいって信念で

常々いるけど、住宅ローンは銀行判断で、審査は当然現実的。

 

既存の借金の返済が難しく、

希望の借入額には全然届かなくて、年齢の問題もあり、

計画断念 = 一生家は建てられません

っていう辛い宣告を告げなきゃならないなって覚悟してんたんだけど、

社長のご好意で、借金を用立てして、何とか計画できることとなった。

 

あれから1年。

ほんと色々問題の多かった現場で、それでも紆余曲折を経て、

何とか全ての手続きが金曜日で終わるなーって時に、

新たな問題発覚。

 

とにかく50万円が足りない。

困った。どうしよう。

 

これはいよいよ僕が個人的に用立てするしかないかって、覚悟したんだけど、

一応社長に電話。

すると、即答で、

 

『分かった。明日朝一番で、彼に50万渡すから、あとはうまく処理して下さい。』

 

『惚れてまうやろー!』

 

やっぱ社長って器っすね。

 

かっこいいなーって素直に思いました。

 

 

 

 

 

迷った時に考えること

人生は選択の連続だ。

 

こうしている今も、

明日に備えて寝るでもなく、

今日アマゾンから届いた古本を読むでもなく、

 

『音楽を聴きながらブログを書く』

 

という選択を、自らの意思で選んで、実行している。

 

直感、欲求に素直に従える行動なら世話ないが、

極力シンプルでありたいと願っても、

人生ってのはなかなかシンプルにはいかず、

時として葛藤と共に、難しい選択を迫られる事がある。

 

そんな時、迷った時、僕は自問自答する。

 

『明日死ぬと分かっていても、この選択肢を選ぶか?』って

 

選択の先の『納得』があって、然るべきだと僕は考える。

それが自分の人生を生きるって事じゃないかって。

そう自分にいつも言い聞かせる。

 

ただそれは、

我欲の赴くままに、何でもかんでも行動すべきって事じゃない。

『我慢する』『実行しない』『考える』『選ばない』ってのも、

立派な選択肢の1つだ。

 

『仕事投げ出して海へ行きたい。』『あいつにクソ野郎と叫びたい。』

『あと30分眠ってたい。』『あの子に好きだって言いたい。』『何もしたくない。』

等々、明日死ぬと思っても、実際には行動に移せない、日常の選択肢たち。

『だって死なないし。』って、もう1人の自分に邪魔をされ、選べない。

 

でも、それさえも、自分で納得して、我慢なり、自制なり、

あくまで自由の下に、自分で選択しているんだって意識でいる事は大切だなと。

 

本当に我慢や自制ができなくなった時、

僕はやる。誰がなんて言おうとやる。必ずやる。やってやる。後悔はしない。

ふざけるな。誰が決めたんだ。これは紛れもなく、俺の人生だ。

 

って。

 

そんなつもりで生きている。

そして今日も自らの意志で、凡人らしく、慎ましく、我慢している。

あくまで100%、自らの意志で。

宮迫さんと田村さんの会見を見て

久しぶりにテレビ番組を見た(録画だけど)。

 

世間を賑わせている、反社会的勢力との問題に関しての会見。

 

正直僕は2人のファンではないし、

この問題について何か意見を言える立場でもないし、

世間の風潮に何かを言うつもりはない。

 

ただ、会見を見て、思った事は、

 

『本気』は伝わるなってこと。

 

全てを見た訳ではないんだけど、

少なくともお2人がご自身の良心に従って、

誠実に行動しようとしていると自分は感じられた。

 

だから頑張って欲しいなって気持ちが湧いた。

具体的に何をしてあげたいとまではいかないけど。

 

情熱、エネルギー、本気、熱意、

なんて呼ぶべきかはわからないけれど、

強い振動を持つエネルギーは、必ず共鳴を起こす。

 

人間の神秘。

角度、方向、捉え方で意味は変わる。

しんどい事があって、落ち込むんだけど、

逃げずに、向き合って、じっとして、

落ち着いた時にもう1回その事実を俯瞰してみると、

 

必ずそこにはポジティブが隠れている。

 

お金を損したことで、時間を得たかもしれない。

信用を損ねたことで、人間関係を整理できたかもしれない。

 

逆もまた然り、

 

喜びに包まれて浮かれている時、

ちょっと待てよと、落ち着いて考えてみると、

 

必ず対価として失われたものがある。

 

恋愛が成就したことで、独りの時間が失われたかもしれない。

夢が叶ったことで、生きる目的を失ったかもしれない。

 

光と陰、善と悪、

それらを常に調和できていると、

心がブレずに、いつも中心で在れる。

 

別に行動しなくても、意識するだけで良いと思う。

 

その先に、

本来の自分があるのかなと。

 

そこから湧き上がってくる感情に任せて、

行動を起こせば、

人生は軽やかに、そして豊かになっていく。

 

そんなイメージを持っている。

 

恋愛の尊さを教えてくれた人

僕らが結ばれないことは分かりきっていた。

 

分かりきっていたのに、

それでも僕らは気持ちを抑えることができなかった。

 

結果、互いに深く傷を負った。

僕が彼女を深く傷付けてしまった。

 

本当に短い時間だった。

 

まるで全てが夢だったかの如く、

淡く儚い恋だった。

 

けれど、短かい時間だったからこそ、

目が眩むほどの輝きと、儚さが今でも記憶に焼き付いている。

 

恋愛の尊さを僕に教えてくれた人

 

何年も会えてないけど、心から信頼できる人。

今も性別を超えて、大好きな人。

人を愛することの尊さを教えてくれた人

とにかく一目惚れだった。

外見でしか女性を判断しておらず、

正直身の程知らずで、判断基準も相当厳しかった僕が、

一目で恋に落ちた。

 

とにかく彼女に振り向いてもらいたくて、

彼女に笑ってもらいたくて、

出来る限りの事を恐れずやったし、

どれだけ背伸びをしても構わないから、

自分をカッコよく、男らしく見せたくて必死だった。

 

その甲斐あって、僕たちは結ばれて、

本当に幸せな時間を共有することができた。

 

笑って、泣いて、喧嘩して、落ち込んで。

 

愛し合いながら、傷付け合いながら、

僕らはいつだって全力で向き合っていた。

 

恋することで、

人と人がこんなにも深く理解し合えること、

成長し合えることを僕に教えてくれた人だった。

 

人を愛することの尊さを教えてくれた人

 

今はもう会うことはないけど、

幸せに暮らしているって、風の便りは届いてる。

人生において本当の『切なさ』を教えてくれた人

とっても印象深い、記憶に残る女性だった。

 

口数は少なかったし、質問さえほとんどしてこない。

僕が聞いたことに対し、言葉を選びながら、控えめに答えてくれるだけ。

 

とても物静かで、どこか物悲しい雰囲気を纏っていて。

でもとても芯があって、凛としていて、強い人だった。

 

外見と態度とは裏腹に、実はとっても女の子らしくて、本当は弱さもあって、

全然素直じゃなかったけど、誠実で、優しくて、思いやりに溢れてて。

 

そんな彼女が本当に大好きだった。

 

当時はどうしても結ばれない関係性の中で、

距離を縮める事は出来なくて、歯痒くて、本当に辛かった。

もう恋なんてしたくないとさえ思った。

 

人生において本当の『切なさ』を教えてくれた人

 

彼女は自分をどう思っていたか、確信は持てなかったけど、

淡い気持ちくらいは持ってくれていたのではないかって、

都合良く記憶に閉じ込めている。

とにかく僕は本気で彼女に恋をしていた。

 

今なら分かる。

辛さも切なさも全部ひっくるめて、

彼女を愛していたし、

素晴らしい恋だったって。

 

友達になれるタイプの子ではなかったから、

今どこで何をしているか分からないけれど、

幸せであることを、心の底から願っている。