この人生を生きてゆく

実体験から、自分の幸せを探求し続けます。

答えは自分の中にある。

悩み続けてる(自ら苦しむ思考を選択し続けてる)と、

やがて飽きて、幸せになれる思考を模索するモードになる。

 

その繰り返しでここまで来た。

 

一体何度同じことを繰り返しているのだろう。

 

結局辿り着く場所はいつも同じ。

 

・やっぱり自分の直感に従って生きたい。

・やっぱり他人の目を気にせず、自分らしく生きたい。

・やっぱり好きなことを我慢せずに生きたい。

・やっぱり心静かに、ワクワクを感じながら生きていたい。

 

これが原点で、『僕の道』みたいだ。

我ながらどれだけ自分の中に『でも』の呪縛があるんだよって思うけれど、

もしかしたら、この堂々巡りが好きなのかもしれないし、

必要なプロセスなんだろうとも思う。

 

ちょっとずつ変化を感じてはいるし。

 

とにかく瞬間瞬間、思考<感覚を大切に、

僕は日々を生きていこうと思う。

最高に幸せな休日なんだけど

朝、ちょっとゆっくりと目を覚まして、

学校へ行く子供たちを見送る。

 

その後奥様に頼まれていたベランダの掃除をして、

買い物を一緒にして、一緒にカラオケ行って、たくさん歌って。

 

帰って来たら子供たちを迎えに行って、

学校で偶然会った同級生と雑談して、

ママが誕生日だからってケーキをみんなで買いに行って。

 

夕食は最近お気に入りの米津さんの曲を流しながら、

鼻唄歌って、ビール片手に餃子とナムルを作って。

 

出来も上々で家族にも好評。

一家団欒の本当に幸せな時間。幸せな休日。幸せな人生。

 

それなのに、それなのに、それなのに、

ずっと消えない寂しさ。

心に留まり続ける切なさ。

 

この世に善悪はなく、全ての物事は表裏一体。

 

光と陰、喜びと憂いは必ずセットだ。

 

僕は、今日もその対価を、静かにただ受け入れる。

 

 

最愛のパートナーとして

出会いは中学生3年生の頃。

クラスが一緒だった。

 

当時の中学生の男女なんて、

そんなに誰とでも気さくに話すなんて雰囲気はなく、

今でいうスクールカースト?の同じ階級の中で、

無意識にそれぞれが関係を持っていたのかも知れない。

 

僕は、今思うと、超意識高い系男子だったので、

こちらから積極的に不特定多数の女子に話しかける事はなかった。

 

だから彼女と会話した記憶は、ほとんどない。

正直印象もあんまりなかった。

 

当時彼女は僕のことを「なんか変わってて嫌な奴」って思ってたらしいけど。

 

そして10余年が過ぎ、帰ってきた地元で再会することになる。

 

きっかけは、これまた同級生の女友達に僕がアプローチして、

今度2対2で良いから食事しようよと誘ったら、そこに同席したのが彼女だった。

 

僕は当時その女友達を狙っていたから、

(その好きだった女友達についても、いつか書くかも知れない)

彼女に対しては、面白い子だな、くらいの印象だったけど、

結局その女友達とはご縁がなくなった時に、

ふとあの子とご飯でも行ってみるかという気になり、

狙うって気もなく、軽く誘ったつもりだったんだけど、

いざ行ってみたら、

 

めちゃくちゃ楽しくて、笑えて、自然体でいれる自分がいて、

とっても心地良かったのを今でも覚えている。

こういう人と家庭を築けたら、きっと幸せなんだろうなって思った。

 

そう。

その彼女こそが、今の僕の奥様だ。

 

恋愛相手と結婚相手は違うよなんていう話も周囲から聞いてはいたけど、

僕たちは普通に恋に落ち、しっかり愛し合って、結婚することができた。

結婚式も、友人たちが皆同級生同士だから、同窓会みたいで賑やかで楽しかった。

これって、もしかしたら、当たり前の様で、実は幸運なことなのかも知れない。

 

結婚してから間も無く10年。

本当にあっという間だった。

 

2人の愛する子供に恵まれ、

彼女はもうすっかり「お母さん」になってはしまったけれど、

今も友達みたいに仲良く笑いながら暮らせている。

 

もちろん色々なことがあるし、これからもあると思うけれど、

生涯のパートナーとして、あの頃の気持ちを忘れずに、

これからも彼女と人生を共に歩んでいきたい。

 

こうして振り返ることで彼女への感謝の念が静かに湧いてくる。

 

いつも本当にありがとう。

そして、心から愛しています。

好きだったあなたへ

ブログを初めて1週間。

堅苦しく暑苦しい人生論を綴るのに飽きたので、

新たなカテゴリーを作ることにした。

 

テーマは『好きだった人』

僕は男性であり、恋愛対象は女性の為(僕はLBGTに一切の偏見は無い)、

過去にご縁があり、運良くお付き合いできた方、

思いが伝わらず、片思いだった女性の方々を、

時々思い出しながら綴ってみようと思う。

 

奥様がいつかこのブログを読む可能性があり、

夫婦間で別に隠し事は無いけど、いちいち話してはいない過去もあるので、

なるべく時代は伏せて、時系列はランダムに綴ろうと思う。

 

しかし我ながら良いテーマを思いついたなと。

 

だって、過去好きになった女性たちは、

本当に皆それぞれ素晴らしく、美しい女性たちばかりだったから。

 

今とってもワクワクしていて、書きたいアイディアが溢れている。

 

男性に悪印象を与える覚悟で主張するけど、

僕は『女性』という存在に、深く深く敬意を払っていて、

 

女性』のいない世界で生きるくらいなら、

死んだほうがマシだと真剣に考えている。

 

いわゆるただの女好きってことかな 笑

人間の力をなめるな

自分が目の前の現実を創造していると、信じようとすればするほどに、

現実は鈍い痛みを産み、心を蝕むような出来事が繰り返される。

 

この苦しみも望んで産み出しているのだと信じ、

この人生に全責任を負い、この生を全うしようとするが、

霧は晴れない。

 

しかし、人間をなめちゃいけない。

 

人間の感情は、どんな高性能の精密機器でさえも足元に及ばない

超高性能センサーだ。

 

「苦しみ」を感じるとらえ方は、

それは間違ったとらえ方だよって教えてくれてるんだ。

 

思い通りの現実が起こっていないと思うのならば、

 

それは、

自分が創造主だって事を

信じきれていないということだ。

 

俺は信じる。

そんな人生を歩みたいから。 

感情を味わい尽くす

この世の出来事に善悪はなく、ただそこに体験があるだけ。

 

自分にとっての真実に基づいて、他人の存在を考える時、

感情を揺さぶってくれる人は、人生における重要人物だ。

 

怒り、苦しみ、悲しみ、切なさ、失望、恐怖を与える人と、

愛、喜び、楽しさ、笑い、希望、感動を与えてくれる人の、

存在価値において、真の意味での差は無い。

 

愛する人だからこそ、そこに深い失望が潜んでいるし、

切なさを与えられる人だからこそ、そこに深い喜びの可能性がある。

 

他人は自分の鏡であり、

他人への咎めは、

実は自分を裁くことに等しく、

 

他人への咎めを無くすことは、

自分自身を癒すことである。

 

感情を味わい尽くす為に、俺たちは生まれてきたと言っても過言では無い。

 

怒り、苦しみ、悲しみ、切なさを感じたら、抵抗せずどっぷり浸かろう。

感情を解放して、たっぷりと味わってやろう。

 

その経験がやがて、深い愛や喜び、楽しみ、笑いを味わえる糧となる。

 

体験を通じ、感情を味わうことが、人生の醍醐味であり、

それが、

 

生きていくことを実感できる瞬間ではないだろうか

世界の完璧すぎる調和を知る

日常の中で心切り刻まれる出来事が重なって、

それでも『俺が創造主で責任者なんだ』って信念を捨てずにいたら、

世界がすぐに応えてくれた。

求めていた答えが降りてきた。

そして俺はまたこの世界の完璧さと美しさを知った。

 

誰かに賞賛されている時、必ず誰かに妬まれている。

誰かに愛されている時、必ず誰かに憎まれている。

大きな成果を手にした時、必ず失われたものがある。

 

対岸に立って見れば、その価値に優劣はない。

どちら側から見ているか。それだけだ。

全ては光と陰で1つなんだ。

 

苦しく悲しい出来事があった時、必ず喜びと救いが同時に発生している。

 

気付くまでに時間がかかる場合もある。

何年か経って振り返ってみた時、

あれはあれで良かったなと思える挫折が、

必ず誰にも1つくらいはあるだろう。

 

今まさにその渦中にいる場合は、

到底そんな事実は受け入れられず、抵抗してしまうだろう。

早く抜け出したいと、必死でもがくだろう。

無理やりポジティブに考えたりするだろう

 

そう、今の俺の様に。

 

でも大丈夫。絶対大丈夫。

 

まずは信じよう。自分の力を。

この世界の調和の摂理を。

 

何もしなくていい。抵抗せずに待とう。

悲しみや苦しみや痛みから逃げす、どっぷり浸かろう。

逃げたいならそれはそれで全然構わない。

俺たちは自由だ。好きな様にすればいいんだ。

ここは俺たちそれぞれの世界であり宇宙だ。

 

あなたが決めて良いのだ

 

いつか必ず苦しみや悲しみの、

その答えが降ってくる時が必ずくる。

 

その時を今は待とう。

自分にとっての真実を信じて。

全ての答えは足元にあったりする

俺には子供が2人いる。

9歳男の子と6歳女の子。

 

2人とも愛してやまない宝物。

 

長男は、観察していると、

とにかく我儘で、好きな事(ゲーム)ばかりしていて、

自己中心的で、空気を読まず、他人を気にせず、

愛する人(ママ)に愛を出し惜しみせず、

カッコつけで、いつもハイテンションで

無理難題を親に要求してくるモンスターチャイルドだが、

 

はっきり言って、

 

俺の理想の生き方を体現している神だ

 

だから俺は彼を尊敬している。

彼からこちらが生き方を学ばせてもらっている。

俺が教えられるのは社会のルールの存在だけだ。

 

子供は神だ。

真実とは

この世の真実とはなんだろう。

 

抗いようの無い運命が定まっていて、大いなる力に従って生きるということ。

そもそも生きる意味などなく、ただただ暇つぶしとして命を費やし、無に帰ること。

神に救いを求め、天国への道を信じ、他人に貢献し、魂を磨くこと。

 

答えはわからないけど、

もしこの世に真実があるとしたら、

それは、

 

己が信じたことが真実だということ

 

ではないだろうか。

 

俺は

前世を信じている。魂の存在を信じている。

全ての人々が神であり、創造主であり、無限だと信じている。

全ての物事に善悪は存在せず、ただそこに体験があるだけだと信じている。

世界は常に完璧な状態であり、調和していて、バランスが取れていると信じている。

 

それが俺の生きる、

俺だけの

この素晴らしきクソッタレな

現実世界だ

 

明日死ぬとしても変わらない生き方を。

生きていく

『生きている』と『生きていく』はちょっと違うと思う。

 

『生きている』は授かった命を全うすること。

『生きていく』はそこに意思と覚悟を加えること。

 

俺は『生きていく』で在りたい。

 

『生きていく』ことはしんどい。

『生きることは修行そのもの』だなんて言われる。

 

だからこそ、少しでも『楽に生きたい』

 

『楽に生きる』こと、

それは『楽しく』生きるってことだ。

 

『楽しい』を感じるには『苦しい』が必要不可欠だ。

『嬉しい』と『悲しい』、『愛』と『憎しみ』

『男』と『女』、『光』と『影』

 

全ての物事は全て完璧にペアとなっており、

それでいて深い意味において善悪はない。

あるとしたら勝手に自分でジャッジをしてしまっているだけ。

 

人間万事塞翁が馬

俺の好きな言葉の1つ。

 

物事の結果に絶対的な良し悪しはない。

宝くじに当たってしまったが故に不幸になる人もいる。

 

でも辛いものは辛い。きつい。しんどい。

けどそれは、今の自分に必要な痛みであり、

きちんと向き合って、しっかり受け入れることで、

輝かしい喜びに変わる日が必ず来る。

必ず。

 

だから逃げずに向き合おう。

 

生きていこう。